4月1日、新元号が「令和」に決まった。
万葉集から、「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。」からの引用と官房長官からの説明があった。
明治はM、大正はT、昭和はS、平成はHと表記され、今度はRと様々な書類に載ることだろう。

今から30年前、昭和64年の1月7日の早朝に天皇崩御の報があった。
この頃の年末年始は天皇の容態の報道が一進一退ばかりの自粛ムードが続いていた。
新年明けの仕事初めで結構バタバタとしていた時の出来事であった。
その日の午後には「平成」の新元号が当時の小渕官房長官から発表されて、昭和64年は7日間で終わり、翌日の1月8日から平成元年となった。
東京で自動車会社に勤めていたので、実際には昭和64年の稼働日は2、3日しかなく、同年登録のクルマは大変珍しい車となり、同年製の硬貨も大変希少なモノとして話題になった事を覚えている。
自粛ムードの昭和が終わり、平成の世に移り、当時の好景気がますます増大して行った。

しかしながらその景気も平成2年の湾岸戦争を機に株の暴落が起こり、後に「バブル経済の崩壊」とまで言われた、日本経済の急降下から始まった平成の時代となった。
その後も景気は立ち直らずに、阪神淡路大震災といった災害やオウム真理教の一連の事件も平成の初めの頃であった。
その後も災害は続き、地球温暖化による、各地での豪雨災害も必ず毎年どこかで起こるようになった。
だが、悪い話題ばかりもなく、Windowsに代表されるパソコンソフトなどでインターネットが急速に普及し人々の生活を変えるようになり、同時に携帯電話もこの30年間で人々に行き渡り、スマホ・ネットの生活インフラが確立された時代でもある。

さて今度の「令和」はどのような時代になるのであろう・・・
万葉集からの引用とはあるが、まずは「令」の字を見た瞬間に感じたのは、それこそ7世紀頃の「大宝律令」に代表される、○○令といった法律を定めた文字でもある。
この「令」を持って憲法改正が実行されるのではないか、またそれを正当化する時代の名前となるのではと、いろいろと思惑の錯綜はめぐる。

しかしながら後の「和」のとおりに、色々な議論や意見交換の先に未来の為に、より良い社会を形成する為の憲法改正や、世の中の仕組みを見直す機会になっていただければと切に願う。